晶子レター
代表が最新情報をお伝えすると共に、毎日に全力を尽くす意味合いや
季節の移ろいなどの想いを月1回配信しています。
4月に入り暖かな日差しを心地よく浴び、どこからともなく花の香りが漂う春の訪れがとても嬉しいです。
確定申告の最中に庭に植えたミニバラの苗も少し大きくなって咲き始め、いくつか摘み取って受付に飾りました。次々と色とりどりに咲くバラを飾ると、バラの色が変わるたびに雰囲気や香りが変わるのに驚きます。普段はお花を少し離れて見ていますが、このようにすぐ近くで花だけを感じると、視覚や嗅覚が異なり感性が研ぎ澄まされます。花も人もそうですが、少し離れてかかわるのとすぐ近くでご一緒するのでは随分感じるものが異なるのを実感しました。これからはいろいろな事物を遠近とりながら考え感じ、対処していく必要があるのをバラが教えてくれました。花の美しさや香りに癒された上に、新しい発想を得られて楽しいです。
さて、弊社は大阪天満宮のお膝元にあり、天満宮へお参りする起点である天神橋から北は天神橋筋七丁目まで伸びる、全長約2.6キロの天神橋筋商店街がすぐ近くにあります。長さは日本一といわれ、歩くのには約40分かかります。入口上部には、お迎え人形が飾られており、アーケードへ一歩踏み入れると、昔ながらの大衆食堂、惣菜屋、代々刀鍛冶の刃物屋、明治元年創業のお茶屋、豆腐、コロッケ、陶器に着物.....と、約800店舗が連なっています。江戸時代、二丁目にある学問の神様・菅原道真を祀る「大阪天満宮」の門前町として栄えたのが始まりです。大きな川には物資や人が集まり、繁栄するというのは古代文明からの世の常ですが、天満宮の近くを流れる大川にかかる天満橋周辺も江戸時代には水運による物資の集積地で、多くの人や物資が集まっていました。その天満橋から北へと延びる天神橋筋は、市場を訪れた人々の歓楽街となっており、今のように様々な商店などが立ち並んでいました。20年近く前ですが、約60年ぶりに上方落語の定席として天満天神繁盛亭が誕生しましたが、ここは戦前まで多くの演芸が集まった場所で「天満八軒」とも呼ばれていました。明治中頃の絵図には落語や歌舞伎、講談など様々な小屋が描かれています。
また景観の変化は天満堀川の跡でたどることができます。かつて大阪市北区に存在した運河で、今は埋め立てられて阪神高速の敷地となっています。秀吉の時代に堂島川から北区の中心部に入るための「入り堀」として、経済や物流をスムーズにさせるために開削されました。そして1836年の天保の飢饉により各地で百姓一揆が起こり、その困窮する人々を救うために立ち上がった大塩平八郎の乱による火災で職を失った人々や、飢饉で苦しむ人々を救済するため、公共事業として天満から大川に向けて延長開削されました。そして昭和になり道路面積が不足し慢性化した市内渋滞解消のため、天満堀川は埋め立てられその役目を終えました。今は高速道路として生まれ変わり人々の暮らしを支えています。これらの景色にも様々な歴史があって作られてきたことを知ると、感慨深いものです。弊社にお立ち寄りの際などの機会があれば、商店街の端から端まで歩いて探索して頂くと、新しい発見があって楽しんで頂けると存じます。
新年度の税制改正関連法が3月28日午後の参議院本会議で採決が行われ、可決・成立しました。法律では所得税と住民税合わせて1人当たり年間4万円の定額減税をことし6月以降に実施するとしています。また賃上げを実施した企業の法人税を減税する「賃上げ税制」について、赤字となることが多い中小企業でも適用できるよう、最大5年間、減税を繰り越せる措置が導入されます。
このほか、住宅ローン減税の対象となる借入額上限の引き下げについて、子育て支援を目的に子どものいる世帯や40歳以下の夫婦世帯は省エネ基準をZEH基準にした上で、これまでの上限を維持することやカーボンニュートラルや経済安全保障の観点から、蓄電池や半導体といった重要物資を国内で生産する企業への減税措置も設けられています。政省令をへとへとになって読み解いておりますが、特別減税の細かい手続き以外は目新しいものはないように思います。
さて、TKC近畿大阪会会報に私のこれまでの泣いて笑っての歩みについてのインタビュー記事が掲載されました。少し恥ずかしいですが、今の私があるのもこれをお読みいただいている方や支えてくださった方のお陰です。本当にありがとうございます。
柔らかい日差しに包まれて過ごしやすく心地よい日々ですので庭仕事にも精が出て、綺麗な花を咲かせてねと語りかけながらお世話をしております。道行く人にも声をかけて頂き、花いっぱいのとても嬉しい日々です。
皆様も暖かい陽気の中、明るく元気にお過ごしください。